ネタバレは迷惑だ。

 これは接客業をしている母の体験談である。つい先日、馴染みの女性客がやって来た。知っている人だったのでちょっと話をしていると、そのお客さんは映画を観た帰りだという。客「渡辺謙が主演してた『明日の記憶』を観に行ったんです」母「あら、それ私も観に行こうと思ってたんですよ」。するとその女性客は「このシーンはとても感動した」といって、物語の結末をすんなりとバラしてしまったという。後でその女性客がいなくなった後で、母は物凄く腹が立っていたという。
 夕食の最中にその話をした母は自分にこう言った。「ねえ●●(←本名)、話してる様子からして相手は何の悪意も無いんだろうけど、あたしは凄く許せないの。どう思う?」
 ……いや、これはもう母の心境を察するに余りある、まさに“ありがた迷惑”な行為の典型だ。こういう場合、その女性客にとっては「今観てきた映画の感動を伝えたい!」という思いがあったわけで、感動したシーンを人に説明しようとする行為(“好意”とした方がいいか?)までは理解出来る。すなわち“共感を求める”タイプなのだろう。ではその行為(好意)が話の結末にまで及び、ネタバレの可能性(またはそのもの)に関わってくると即問題になるかというと、実はそうでもない。
 世の中には、結末を知った状態でも「確かに言う通りだった。感動した!」というの人も存在するのだ。その女性客はまさにそうだったわけで、だからこそ結末を母に話したのだろう。だが母は「結末をバラされたら面白みが減るじゃないの!」という逆の考えを持ってしまったわけである。女性客が行った「感動の共感」が母にとっては甚だ迷惑だったのも理解出来る。
 例え共感を求めるタイプだったとしても、相手が未鑑賞だと分かったらその女性客も少しは気を使ったらどうなのだ。「あら、まだご覧になってなかったんですか? 凄く良かったですよ、最後のシーンなんて泣けて泣けて……」程度で留めておくべきなのだ。それをスラスラと言ってのけたのだから、気が利かないというか何というか……。こういう困ったちゃんは自分で自覚していないから余計に問題である。
 というわけで、皆さんネタバレには気を付けましょう。

また仕事が増えるなぁ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060526-00000197-kyodo-soci
 えーと、54編成ですか。うちの会社で何脚分作るんだか。