リアベさんのクイズ歴・高校生編

 ちょうどいいことに、進学先には小さいながらもクイズ研究会があった。部員数も一桁で、放課後に教室の片隅で例のウルトラボードゲームの早押し機を改造したものを使って活動、というものだったが、クイズの楽しさが判る人達がいる、というのは心強い。即座に入会を決意する。
 ところが、同学年で入会したのは自分だけ。つまり新入部員が1名という何とも寂しい状態だったが、冗談やからかいで入るような人間もいなかったことはむしろ有難いくらいだった。そして自分は諸先輩方に混じりながら活動を開始。最初のうちは解答権を獲ることすらままならなかったが、負けてはいられないとばかりに必死になっていたのを思い出す。この頃から自分で問題を作るようになったはずだが、やはりというか何というか、答えを絞り切れなかったり、極端に難易度が高かったり、裏取りが甘かったりと、まだまだな面が多かった。まあこれは今でも気をつけなくてはならないことではあるが。

 そして、待ち焦がれていた高校生クイズである。どういうわけか関東地区予選のある日だけは炎天下になるという状況下で、YESとNOの究極の選択が行われた。で、結果はどうだったかというと……
1年次:1問目敗退
2年次:4問目敗退(グラウンドには降りられた)
3年次:1問目敗退
 ……と、意気込みの割に成績は奮わず。ただ唯一の収穫として、1年生の時にTVに映ったという快挙を果たしたことがある。関東地区予選の舞台裏みたいな1時間特番があり、その際“西武球場前駅からやってくる高校生達”というシーンで、自分の顔がほんの1秒だけクローズアップされていたのだ。これが仲間内や級友だけでなく、学校の教師が気づいたということもあってか、これ以降校内でのクイズ活動が随分やりやすくなった。もっとも、クイ研の先輩からは「何でお前だけどアップなんだよ!」といろいろツッこまれたが、こういうのは映った者勝ちだ。

 だが年度が進むにつれて諸先輩方が抜けていくと、日頃の活動においての張り合いが無くなってきた事も確かだった。自分の年で入会が1名、ということが後々になって響く。新たな戦力としての後輩を獲得することが出来ず、活動が徐々に尻すぼみになってしまったのだ。3年次はちょうど学園祭開催の年に当たったのだが、大したことも出来ずに終わった。この時ばかりは、クイズへの情熱はあっても、サークル活動における自分の力不足を痛感したのである。おそらく母校のクイ研は、もう存在したことすら忘れられているのではなかろうか。

 その年は大学受験に失敗し、考えた末に浪人という道を選ぶのだが……(つづく)